住職日記

ものの命

私がお守りさせて頂いておりますこの龍應山西明寺は湖東三山の一つに数えられているお寺ですが、湖東三山とは琵琶湖の東側、鈴鹿山系の麓に北から順に並ぶ西明寺、金剛輪寺、百済寺のことを指し、ともに一千有余年の歴史を有し、栄枯盛衰をほぼ同じくした天台宗の古刹(こさつ)です。

 

しかも三山とも歴史だけでなく、すぐれた文化財をたくさん保有しております。この西明寺は平安時代の承和元(八三四)年に三修上人が、仁明天皇の勅願により開創され、平安、鎌倉、室町の各時代を通じて、祈願道場、修行道場として栄え、山内には十七の諸堂、三百の僧坊があったといわれております。

 

しかし元亀ニ(一五七一)年に織田信長は比叡山を焼き討ちしてその直後に当寺も焼き討ちをしましたが、幸いにして本堂(国宝第1号指定)、三重塔(国宝)、二天門(重文)が火難を免れ現存しております。特に三重塔は鎌倉時代後期に飛騨の匠(たくみ)が建立した純和様建築で、初層内部の壁画は巨勢(こせ)一派(平安時代より室町時代まで続いた宮廷画師の流派)の画師が純度の高い岩絵の具で描いたもので、塔内一面に法華経の変相図、菩薩像、仏具、花鳥文が極彩色に描かれていて、鎌倉時代の壁画としては、国内唯一のものであるといわれております。

 

この三重塔は参拝者のたくさんの要望があり、塔内壁画を年中公開しておりましたが、平成十四年の春に壁画が建造物(国宝)と切り離して、美術工芸部門で重要文化財に指定されたこともあり、文化財保護のため、春(三月~五月)、秋(九月~十一月)のニ期に分けて公開するようになりました。塔は四方に扉があり、いつも一ヵ所だけの扉を使って開閉をしておりましたら、先日扉の上の金具がとれてしまし、別の扉を使うようになったのですが、原因は金具が磨耗してしまったからだということでした。

 

ところで今回の修理を通して、私は改めて人間を始めとする「ものの命」ということについて少し考えました。この世にものが生まれるということは、それなりの理由があり必要があってのことであろうと思われます、また、この世にものが存在するということは、それぞれに役割を持ち使命を担っているとも申せます。そして、それぞれのものには寿命という限界があることも事実であります。このことを人間にあてはめて考えてみますと、両親の願いによって私達はこの世に誕生し、死という終わりの時までの自らの使命を全うするために、人生を重ねてゆく存在であります。

 

ご承知のとおり生命とは、命を生かすと書きます。使命とは命を使うと書きます。人生とは人として生きると書きます。即ち私達は人間らしく、自分らしく、与えられた命を精一杯に生かし、使い切るために生まれてきたといえるのでありますが、果して今、私達はたった一つしかない貴重な命を生かし切り、使い切っているでしょうか。仏様にお参りすることを通して、こうした問いかけを自らに向けながら、生まれてきて良かったといえるような人生に高めてゆくことを、自分自身に改めて誓い直して頂けたならば幸いかと存じあげます。

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)