住職日記

人生は苦なり

月日というものは過ぎてしまえば意外に早いものだと、誰しも感ずるものでありますが、昨年、師僧が亡くなって一周忌も過ぎ、比叡山麓に墓を建立して一年が経ちます。

 

さまざまな行事や法要にあけくれながら、私は師僧にお仕えした年月を振り返り、また師僧に教えて頂いた色んな事を思い出し、師僧の死ということの意味を考えながら、またたく間に時間が流れ去って行ったように感じられる一年でありました。

 

身近な者の死に出合うという事実は、私どもの「生」にさまざまな反省と示唆を授けてくれるものでありますが、師僧の死という現実を通して私自身、実に多くのことを学んだような気が致します。その中のひとつに苦しみという真実があります。

 

「人生は苦なり」とお釈迦様が説かれましたように、私どもは命ある限り、楽しい事にも出合いますが、それ以上に苦しいこと、悲しいこと、辛いことに出合わなければならない宿命を背負ってこの世に生をうけております。

自らの小さな力ではどうすることもできないような、またどんなにもがき、抵抗しても逃れることのできないような苦しみの人生を生きてゆかなければならない定めであることを、改めて眼の前に突きつけられたようでありました。

 

お釈迦様はそんな人生であるからこそ、仏教を自らの拠り所とし、ともしびとせよと説かれたのであります。則ち、少欲にして足ることを知る心や、世俗に惑わされず、ひたすらに精進努力すること、更には、迷わず動じない心や真実を正しく見極める眼などを、信仰の実践や体験によって養い培うということであります。

 

これはお釈迦様の最後の説法と言われる、遺教経というお経に示された教えでありますが、当山の本堂におまつりしてある清涼寺式のお釈迦様の静かで安らかなお姿を拝しておりますと、このことが私への仏様からのメッセージのように思われ、ますます道心堅固に励んで参らねばならないと思うのであります。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)