住職日記

今に命を尽くす

先日、当山へよくお参りにこられる方の奥様が42歳という若さでお亡くなりになられました。このご夫婦には高校一年生の男の子と中学二年生の女の子がおられます。通夜に参列し、お焼香をあげさせて頂きましたが、高校一年生の男の子は力なくイスに座り父親に寄り添って、声を殺してずっと泣いていました。声をかけても無反応でその悲しみはすごく深いものでありました。女の子の方は悲しみをこらえ、気丈に振舞っておりました。

 

通夜の最後に女の子がお母さんに対して「お別れの辞(ことば)」を小さな声で涙をこらえながら、『おかあさん、いつも私のそばに当たり前のようにいると思っていたおかあさん。いなくなって初めておかあさんの存在の大きさに気がつきました。
私たちのためにといつも栄養を気にしながら美味しいごはんを作ってくれてたのに好き嫌いを言ったり、私たちのために勉強をしなさいと言ってくれたのに「うるさいなあ」なんて言ったりしてごめんなさいね。私たちの事を思っていろんな事をしてくれたり言ってくれたりしていた事はよくわかっていたけれど、素直になれなくてごめんね。もう朝、学校へ行くときも「いってらっしゃい」という元気な明るい声も聞こえません。
家に帰ってくると「おかえりなさい」とやさしく迎えてくれたお母さんはいません。…私がとてもケーキが好きなので私の誕生日に一生懸命に作ってくれたケーキの味忘れないよ。…おかあさん、ありがとう。安らかに眠ってください。そして天国からいつも私たちを見守っていて下さいね。大好きなおかあさんへ。』と言った時には皆涙を誘われましたが、父親が「妻がこの世を去り、初めて人の命のはかなさを実感いたしました。また今日のこの通夜の日が長男の誕生日です。数日前から一家団欒でケーキを作って長男の誕生日を祝うことを家内はとても楽しみにしておりました。…。今日は皆様ありがとうございました。」と言われた時には参列者一同深い悲しみにつつまれました。

 

私たちは誰でも大事なものを失ったり、失いかけた時、そのものの本当の大切さを知るものであります。

 

身近な人の死を通して命の尊さを知り、過ぎ去って初めて時間の貴重さを知るのでありますが、仏教は常にこうした愚かさにおぼれることなく、現在只今をしっかり見つめよと説いております。今を如何に悔いなく生きるかをテーマとしていると言えます。この瞬間を如何に生き生きと生きるかを示しているとも言えます。いつ、どこで、どんな形で終わりを迎えるか測り知れない身であるからこそ「今に命を尽くせ」を説いているのが仏教であります。皆さん、今に命を尽くしていらっしゃいますか?

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)