住職日記

仏涅槃図

先日、琵琶湖文化館という博物館で「釈迦の美術」という、テーマの展覧会があり、その展覧会に西明寺の「清凉寺式釈迦如来立像」と「仏涅槃図」が出陳されました。「仏涅槃図」は現在琵琶湖文化館に寄託してあり、寺で目にする機会がなくあまり気にかけていませんでしたが、出陳されて、あらためて、よく見ると、釈迦の入滅を悲しむ人々や鳥や動物が描かれ、特に大衆はそれぞれの思い思いの悲しみの表情を精一杯あらわしております。その「仏涅槃図」を見ながら私はお釈迦様の涅槃に示されたお心を考えて見ました。

命あるものはみな等しく死を迎え、形あるものはいつかは必ず消滅するという無常の真理を自らの臨終をもって示されたのではないでしょうか。また如何に財を成そうとも、如何に名声を得ようとも人は「生老病死」の四つの苦しみから逃れることはできず、すべては無に帰する身であることを前提として、それ故に命ある今を喜び、今一瞬、一瞬を精一杯生きることを諭されたのではないでしょうか。人は誰しも、お金や物が欲しいと願い、地位や名声を望み、年老いてゆくことも、病いにかかることも、死ぬことすらも本来人間に備わったものであることをいつの間にか忘れてしまい、欲望を満足させるために心のやすらぎを忘れて行動してしまいがちであります。そして、ひとたび、窮地に立たされ、ピンチにみまわれますと、すぐに神仏にたより、その御加護を求めるのでありますが、果たしてそれで永遠の命や永遠の幸せを授かった人が存在するでしょうか。

なんらかの偶然によって、一時的な救いを得ることはあっても永遠のやすらぎとはならないのが真実であります。

お釈迦様の涅槃はこうした欲望による営みが如何に空しいものであるかを説き、無常の娑婆世界であり、苦しみの現世であることを踏まえて、限りある自分の命を如何に導くかを投げかけているのではないでしょうか。

今一度皆様も自らの生を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)