住職日記

共に生きる

最近の新聞を読んでいると人の命を軽んじている記事が多くみられます。仏教は「一切衆生 悉有仏性(いっさいしゅうじょう しつうぶっしょう)」という言葉で、命の大切さを私達に教えています。

 

これは生きとし生けるものには皆、み仏の尊い命が宿っており、自分も他も共に同じ命を授かっているという前提に立って、すべてのものの命を傷つけ殺すことを戒め、更に歩みをすすめて生かすことの大事さを説いているのであります。

 

また自らを本当に生かす者は他をも生かし、他を生かす者は自らをも生かすことを説いているものであります。
ところが現実の私達は自らの命のために他の命を粗末にすることばかりを繰り返しております。


人が人の命を奪い、人が自然の命を奪い、人が地球の命すら奪おうとしているのが現実です。

山や川も、草や木も、虫や鳥も、獣や魚も、そして人間もすべて地球という命あるものの中で、今共に生きているという真理に思いを寄せながら、自らの命を本当に生かしてゆくために、私達はもっと仏教に親しみ、その根本の教えとも言える慈悲という愛を学び実践してゆかなければならないと切実に思うのであります。

 

日蓮上人も「いのちと申す物は、一切の財(たから)の中の第一の財(たから)なり」と言われております。この言葉をよくかみしめてみたいものであります。

 

また以前にもお話をしました四苦(生老病死)から、私達人間はのがれることができない毎日を送っているのでありますが、私達はさし迫った現実、切実な事情のない時は、それが当然という錯覚におちいり、無事であることの貴重さを考えることもなく過ごしてしまいがちでありますが、自分が病いに倒れたり、病いに苦しむ人を抱えたり、身近な人の死に出合ったりしますと、人は常に死と背中合わせであることに改めて気づき、健康であることに素直に感謝し、命の重さを初めて実感するものであります。死があるからこそ生があり、それ故にこの瞬間の命が自他共に大切であることを、仏教は繰り返し説いているのであります。

 

西明寺のご本尊は薬師如来様です。お薬師様は左手に薬つぼをもっておられ、その薬つぼから私達の心の病い、身体の病いに応じて薬をお授け下さる現世利益の仏様であり、昔からそれ故「応病与薬」の仏として親しまわれております。本堂でおつとめをして一日健康で無事過ごさせて頂いた事に感謝する毎日です。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)