住職日記

布施

当山ご本尊のお薬師様にご参拝なされた人の中に、浄財を寄進される人々がいますが、その浄財の中に御布施と書いてある袋がいくつかあります。

この「布施」という言葉は仏教の世界では、私たち人間が生きていく上で受けている多くの恩に報いる気持ちと、日々の生活の中で常に反省しなければならない多くの点におもいをこめて、周囲の人たちに何かプラスになることをすることを言います。布施の「布」とは、水が大地にしみわたるような限りなく広くしみ通ること、「施」とはいわゆる施すという福祉的な意味ではなく、社会にお返しをしていく行為をいうのです。布施には知識や金銭や物品を必要とするものもありますが、ものや金をまったく必要としない施しもあります。これを「無財の施」といいます。またこの「無財の施」を大きく七つに分けて「無財の七施」とよんでおります。それらを簡単に紹介いたしますと、

一、「眼施(げんせ)」 目は心の窓と言われますように、私達の喜怒哀楽はすべて目に表れてきますが、やさしさのあふれたまなざしを人々に施すことです。

ニ、「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」 微笑みを含んだ和やかな顔で人に接することです。

三、「言辞布(げんじせ)」 他人の心を察し、なごやかで温かい思いやりから発することばを周囲の人たちに投げかけること、つまり愛情に満ちたことばで語りかけることです。以上の三つの施しを総称して「和顔愛語」ともいいます。

四、「身施」 自分の身体の労苦を惜しまず、人のために尽くすことです。

五、「心施」 他人のために心を配り、思いやりのこもったまごころを施すことです。

六、「床座施(しょうざせ)」 直接的には他人に座席を譲る施しのことをいいますが、なんでも一人で独占せずに譲り合う心のことです。

七、「房舎施(ぼうしゃせ)」 いつも家の内外を明るく清潔に整え、客として訪ねてくる人々を分け隔てなく温かく迎え入れ、まごころを尽くしてもてなすことです。

これら七つの布施はいつでも、どこでも、だれでもできるものですが、気をつけなければならないことがあります。それは、高いところから低いところへという風に思い上がった「施」や「恵み」になりやすいことです。「布施」はあくまで恩に報いるために行うものなので、常に感謝と反省の気持ちを忘れずに行い、得意になったり、見てくれがしの行為や感謝を相手に求めるものであってはなりません。ですから常に「与える」のではなくて「与えさせて頂くんだ」という気持ちを忘れずに行わなくてはならないのです。

これらをことばとして理解することは容易ではありますが、いつでも、どこでも、だれに対しても分け隔てなく実行するとなると、我(が)という迷いが災いしてなかなかむずかしいものですが、たとえ一瞬であろうとも「ほっとした安らぎ」を施せる人間に、自分自身をたかめて参りたいものであります。

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)