住職日記

忠恕(ちゅうじょ)

一月八日の当寺の初薬師大般若経転読会法要の後のお話しの時に、西明寺は通称十二神将の干支の寺と言われているので、十二支のえとの始まりの子年にあたる本年から一順して最後の亥年の時に何か実りのあるものが自分で持てているようにと目標となる言葉を提案させて頂きました。このワンサイクル12年間で提案した目標となる言葉は忠(チュウ)恕(ジョ)という言葉です。忠とは「真心いつわりのない事」です。また恕とは「思いやりの事」です。

 

昔、中国の孔子の弟子の子貢が孔子に「たった一言だけで一生涯行なっていけるということがありますか?」とたずねた時、孔子は「まあ、それなら恕(おもいやり)だね、自分が望まないことを、他の人にも仕向けないことだよ」と答えたと言われています。

 

昨年の亥年は偽という漢字が一年間を代表する漢字に選ばれる程、偽りの多い年でした。そしてまた年々偽りがふえてきています。建物の耐震偽装、賞味期限の改ざん、産地の偽装をはじめとする食品の内容の偽装等々、数えたらキリがない程現在の世の中は偽りが満ちあふれております。真心をこめて作った物に偽りの表示をする事ができるでしょうか?

 

また思いやりの心をもって人に商品や物を提供するのに平気で偽って販売できるでしょうか?忠も恕も人間の心に関係する言葉なので心という漢字が入っています。私は昭和生まれなのでよく平成と年号を重ねてものを考えてみることがあります。今年は平成20年ですので昭和20年と年を重ねて考えてみますと、昭和20年は太平洋戦争も末期で沖縄戦があり八月に終戦を向えた年でありました。当時の人々は家族のためにまた国のためにと戦争で命を犠牲にしてまで人のためにつくされましたが戦争のない平和な世の中である現在はどうでしょうか?

 

戦後の教育の中で心を置き去りにした結果として今現在の世の中では昭和の時代では考えられない事がふえてきています。人間関係がギスギスして親が子供を殺したり、子供が親を殺したり、相手の気持を考えず、自分さえ良ければいいという人が増えてきています。もう一度日本人のもつ美しい心を見つめ直さなければならないと思います。西明寺は地方の小さな一寺院ですが天台宗宗祖伝教大師最澄様の言われた「一隅を照らす」という精神からもこの12年のワンサイクルの中で皆様とともに真心(忠)とおもいやりの心(恕)の実践をこころがけてまいりたいと思っております。

 

そして亥年のくる頃には実りあるものが自分自身の心の中にあるようにしていきたいものです。この文章をお読みになっていらっしゃる方も忠恕を実行してみてはいかがでしょうか?

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)