住職日記

日々非常

11月になり、湖東の山々も色づき始め、それに誘われるかのようにたくさんの人たちが、湖東の地を訪れます。特に西明寺は紅葉の名所とともに、秋冬春に開花する県指定天然記念物で樹齢二百五十年を数える「西明寺不断桜」が、十一月に満開に花を咲かせるので、桜と紅葉とのコントラストを楽しみたい人がたくさん訪れます。

 

それらの訪れた人から、いろいろな相談を受けることがあります。これらの相談を受けながら、人皆それぞれにいろんな悲しみや苦しみをかかえて生きていることを、あらためて実感させられます。そしてお釈迦(しゃか)様が「人生は苦である」と言われ、「生老病死」の四苦を説かれたことに、今さらながら真実の重みを感じるのであります。

 

すなわち、「生まれること」「老いること」「病むること」「死ぬこと」の四つの中に、人間のすべての苦しみや悲しみが集約されているということを前提として、それに負けない心を育てるために、さまざまな修行や教えをお釈迦様は示されたのであります。言葉を換えて言えば、もろもろの悲しみや苦しみに負けてしまいそうな弱い私たちを励まし、生きる勇気を授けるためにお釈迦様は仏教を開かれたと言えます。

 

思いがけない厳しい試練が、次々とわが身に降りかかってくる現実にあって、それから逃げることなく、動揺することなく、冷静に対応し、堂々と乗り越えてゆく力、エネルギーを与えるために仏教は説かれているのであります。具体的な苦しみや悲しみや災難に襲われてから、あわててしまいがちな私たちですが、「日々非常」「日々臨終」という覚悟のもとに、精進すべきことを仏教は教えの根本としています。

 

ところで、お釈迦様がある時、弟子たちに向かって「人生とはどのくらいの長さであろうか?」と問いかけました。一人の弟子が「五十年」と答えましたが「ちがう」という返事でした。弟子たちはそれぞれ三十年、十年、一日、一時間と言ってもお釈迦様は首を横に振るばかりで、最後のある弟子が「一呼吸」と答えたところ、ようやくうなずかれたという話があるお経に説かれています。

 

これは一瞬一瞬の呼吸、すなわち吸うことと吐くことの繰り返しによって私たちの命は支えられ、保たれていることを表現したものであります。そして、だれにも必ず人生の終わりの時が巡ってくるということを前提として、自らの生を見詰め、行動すべきことを説いたものであります。

 

言うまでもなく、吸うことの次に吐くことがなければ、また、吐くことの次に吸うことがなければ、私たちの命はストップしてしまうものであり、それゆえに一瞬の命であり、その命を大事にすべきことをお釈迦様は言っておられるのであります。

 

「日々非常」「日々臨終」という覚悟のもとに、毎日毎日を大事に過ごしてまいりたいものであります。

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)