住職日記

総門落慶

私が西明寺の住職に就任した頃の総門は、門の左右の柱下部と敷居がシロアリの被害によって木部がスカスカになっており、梁は木割が細いため荷重に耐えられず中央で折れていました。また、屋根瓦は全体に耐用年数が過ぎていて弛んでおり、板扉は一式無くなっていました。所々に何度か修理した痕跡がありました。

 

専門家に所見を聞いた所、このまま放置しておくと、あと数十年で倒壊する危険性があるとの事でした。その後関係者で協議し、この門を修復して使うか新築するか話し合った所、どちらにしても相当な費用がいるので特別会計を組んで費用を積み立てて行こうという事となり、二十数年が経ちました。その後湖東三山スマートインターチェンジの開設を機に参拝者を迎える大玄関のみならず、仏法を護る上になくてはならない重要な建物として総門を改築する事となりました。また、関係官庁などの指示、教導により総門整備委員会を立ち上げました。

 

数回の委員会を開き、建築年次に関わる資料も少なく使っている部材等を調べてみても、近世のものであり修理するより新築した方が良いとの委員会の見解により、総門は新築する方向に決まりました。またいろんな角度から何度も検討して、国宝の本堂や三重塔が鎌倉時代・重文の二天門が室町時代建立であるので、それらの建立年代を考え、新築の総門は鎌倉時代に建てられた門を参考にして、和様で木太く装飾が少ない四脚門を建立することになりました。

 

また建立する場所が周知の埋蔵文化財包蔵地の西明寺遺跡であるため、建立前に発掘調査を実施することとなり、調査の結果、重要な遺構が発見された場合、工事が大変遅れるとの事でありました。幸い、遺構や遺物が出土しなかったのですが、十か月ほど遅れて工事が始まりました。このため、天台宗祖師先徳鑚仰大法会慶讃並びに湖東三山スマートインターチェンジ開設記念の湖東三山秘仏御開帳には間に合いませんでした。その後、基礎・石・大工・屋根・瓦・工事等順調に運びました。

 

平成二十七年九月六日に落慶法要を執り行うことが出来ました。総門建築中には多くの人々のご縁やご意見を頂き、魔事無く落慶法要を迎えられました。法要中は感謝の気持ちでいっぱいでありました。この気持ちが西明寺の山号である龍應山の龍の心に触れ、人々の願いに応じて御利益を与える山の玄関口であると龍が言ってるがごとく、法要中は激しい雨が降りました。雨降って地固まるではありませんが、この総門が仏法を護る門として、また西明寺の信仰の礎の一つになって、何百年もの間、多くの人々を向かい入れてくれることを願っております。

 

 

合掌
(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)