住職日記

西明寺黒猫縁起

 最近、西明寺にいる黒猫の事について、何処から聞いてきたのかわからないが、いろいろと聞く人が増えてきたので黒猫と西明寺のいわれについて少し説明しようと思い黒猫縁起を書くことにしました。

寺伝によると延宝年間(一六七三―一六八一)に京都山科毘沙門堂門跡久遠寿院公海大僧正が彦根藩に所用で向かう途中、西明寺の門前を通りかかったその時に、門の陰から二匹の黒猫が大僧正を見ていることを感じ取った。
何かを訴えている様子であったので、その猫たちの後を追ってみると、織田信長の兵火を被って以来、衰微荒廃の一途を辿り、僧侶たちも減る一方であった西明寺本堂前に辿り着いた。
天台の名刹西明寺が、これ程荒れ果てているとは気が付かなかった大僧正はこの後、甲賀郡野田の地頭であった望月越中守友閑を西明寺に遣わし、全面的な復興が行われる。
その後、ある不真面目な僧侶が、お勤め中にうたた寝をしていたところ、夢の中に二匹の黒猫が現われ、「我等は西明寺を護る二天(持国天と増長天、若しくは広目天と多聞天とされる)也。努めよ。努めよ。」と言って姿を消したという夢告を受けた。目覚めると手に猫のひっかき傷のような跡があり、それに驚いた僧侶は改心して真面目に西明寺の維持管理に努めたと云われる。
また、彦根藩第四代藩主井伊直興公寄進の御前立秘仏虎薬師の台座の虎についても、黒猫がモデルになったと云われる。当時は日本に虎がおらず、虎が猫によく似た動物であったことから、仏師が黒猫の姿を元にして金色の縞模様をつけ、虎の姿を表現したと云われる。以来、西明寺は毘沙門堂門跡末寺となり、その後補修工事等が次々と行われ、現在に至っている。


爾来、当寺では猫、特に黒猫は西明寺の仏様のお使いとされている。それ故に歴代住職は猫を家族のように大事にしてきた。
縁あって、三年前に西明寺に黒猫が二匹【玄(くろ){青い首輪}と空(くう){赤い首輪}】やってきて、それ以来、お参りの方々に心の癒しと安らぎを与えている。