住職日記

総門落慶

私が西明寺の住職に就任した頃の総門は、門の左右の柱下部と敷居がシロアリの被害によって木部がスカスカになっており、梁は木割が細いため荷重に耐えられず中央で折れていました。また、屋根瓦は全体に耐用年数が過ぎていて弛んでおり、板扉は一式無くなっていました。所々に何度か修理した痕跡がありました。

 

専門家に所見を聞いた所、このまま放置しておくと、あと数十年で倒壊する危険性があるとの事でした。その後関係者で協議し、この門を修復して使うか新築するか話し合った所、どちらにしても相当な費用がいるので特別会計を組んで費用を積み立てて行こうという事となり、二十数年が経ちました。その後湖東三山スマートインターチェンジの開設を機に参拝者を迎える大玄関のみならず、仏法を護る上になくてはならない重要な建物として総門を改築する事となりました。また、関係官庁などの指示、教導により総門整備委員会を立ち上げました。

 

数回の委員会を開き、建築年次に関わる資料も少なく使っている部材等を調べてみても、近世のものであり修理するより新築した方が良いとの委員会の見解により、総門は新築する方向に決まりました。またいろんな角度から何度も検討して、国宝の本堂や三重塔が鎌倉時代・重文の二天門が室町時代建立であるので、それらの建立年代を考え、新築の総門は鎌倉時代に建てられた門を参考にして、和様で木太く装飾が少ない四脚門を建立することになりました。

 

また建立する場所が周知の埋蔵文化財包蔵地の西明寺遺跡であるため、建立前に発掘調査を実施することとなり、調査の結果、重要な遺構が発見された場合、工事が大変遅れるとの事でありました。幸い、遺構や遺物が出土しなかったのですが、十か月ほど遅れて工事が始まりました。このため、天台宗祖師先徳鑚仰大法会慶讃並びに湖東三山スマートインターチェンジ開設記念の湖東三山秘仏御開帳には間に合いませんでした。その後、基礎・石・大工・屋根・瓦・工事等順調に運びました。

 

平成二十七年九月六日に落慶法要を執り行うことが出来ました。総門建築中には多くの人々のご縁やご意見を頂き、魔事無く落慶法要を迎えられました。法要中は感謝の気持ちでいっぱいでありました。この気持ちが西明寺の山号である龍應山の龍の心に触れ、人々の願いに応じて御利益を与える山の玄関口であると龍が言ってるがごとく、法要中は激しい雨が降りました。雨降って地固まるではありませんが、この総門が仏法を護る門として、また西明寺の信仰の礎の一つになって、何百年もの間、多くの人々を向かい入れてくれることを願っております。

 

 

合掌
(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

洞察力

比叡山延暦寺一山「善学院」住職から湖東三山「西明寺」住職に転住職して20年余りの年月が過ぎましたが弟子が比叡山の行院で僧侶になる修行に入行したり比叡山麓の叡山学院で仏教学全般や天台教学を学ぶ姿を見て、自分の時と重ね合わせて、その時の師僧の考えや、やさしさ、大変さを少しは実感できるようになりました。

 

師僧は自分が小僧の時に師僧と一緒に食事をした事がなく、師僧の食事中は食事が終わるまでお給仕をさせられていたので、自分が師僧になったら弟子には早く食事を食べさせてやり、皆一緒に食事をすると決められていましたので、私は師僧や兄弟子達と一緒に食事をしていました。

 

このことから夕食は少し大変でした。食事も修行の一環なので食事中は私語なく静かに食べるのですが、食事が終わってごちそう様と言うか言わないぐらいから、今日一日のできごとについて師僧からいろんな説教を受けます。特に機嫌が悪い時は今日のでき事だけでなく前にも何回も注意された事が、くり返し、くり返し、思い出しては言われます。そして師僧の食事後の説教は、いつも最後に決まって『わしはお前らの応援団じゃ、わしの良いと思う所だけ手本にして、わしを踏み台にしていけ。いつもわしはお前らを応援している』でだいたい終わります。

 

師僧が席を立った後、兄弟子が今日の師僧の説教をうけた一番バッターはよく叱られたとか、二番バッターは要領が良いので、あまり叱られず褒められたとか言い始め、今度は自分が師僧のまねをして、師僧の事や弟弟子の事をとやかく言い出しますが、あまり気にせず皆知らん顔をしています。

 

今から考えますとその時の説教がなつかしく、また師僧と弟子一同そろって食事をしたく思いますが、師僧をはじめ殆どの弟子が他界していますので、それはかないません。また、師僧の説教の中の話に色々な人生の宝となるキーワードが潜んでおりましたが、その時は気がつかず、どうしてこういうことを言われるのかと腹立たしく思ったりもしていましたが、今、弟子をもって同じ境遇になると、なるほどと思うことがたくさんありますし、その時言ってもらった事がたいへん役に立っていることもあります。やはり良薬口ににがし、後悔先に立たずです。

 

私が比叡山で三年間の籠山行(満行すると比叡山の延暦寺一山の住職に推薦してもらえる)に入行しようか迷っていると(その当時、腰が椎間板ヘルニアになっていて満行できるかたいへん心配であった)師僧はそれを察知して、上杉鷹山(ようざん)公の言葉を引用して『為せば成る。為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり(人が何かを成し遂げようという意思を持って行動すれば、何事も達成に向かうものである。ただ待っていても、何も行動を起こさなければ良い結果には結びつかない。結果が得られないのは、人が為し遂げる意思を持って行動しないからだ)じゃ、人生不言実行、行不退じゃ、やるだけやってみぃ、できんかった事など考えでもええわ』と言われました。師僧の思いにむくいる為にも、私はこの時、比叡山での三年間の籠山行に入行する決意を固めたのです。今思えば、この時の師僧の励ましによって固めた決意が私の人生を大きく変えたと思います。

 

この比叡山での三年間の籠山中の行、90日間、お堂の中で不眠(みん)不臥(が)(眠らない、体を横たわらない)でずっと坐りぱなしでいる「常坐三昧(ざんまい)行」や比叡山の峯々を毎日七里半(30キロ)を巡拝して回る「百日回峯行」、諸仏の修法する「諸尊法修法」、お経を断つことなく読み続ける「不断経」、行院での行院生の指導助手、在家の修行道場である居士林(こじりん)での指導助手、宗祖大師が今も生きておられるがごとくお給仕をする浄土院での助番等の中でたくさんの心の宝や自信を得る事ができました。今思えば師僧は私が籠山行をする事によって比叡山でたくさんの事を学び、私にとってたいへんプラスになる生き方、考え方を身につける事ができ、大きく成長することが分かっていたのだなあと思います。なぜならば、師僧は私より4倍も長く比叡山で籠山をした12年籠山行の律僧で、比叡山で「掃除地獄」とうたわれた浄土院の侍真(じしん)僧であったからです。

 

侍真(じしん)とは、伝教大師の真影(しんえい)に侍(はべ)るという意味であり、大師が今も生きておられるがごとく12年間一日たりとも欠かすことなくお給仕を勤め、定められた勤行や修法を実践し続ける僧侶のことです。また侍真僧になるのはまず、三千仏礼拝による好相行(五体投地で三千の仏に礼拝をして仏を感得するまで行い、仏を感得したらその体験を侍真に報告してその体験が本当に仏を感得したものと認められたと時、はじめて新たに侍真と認められる)を果たした後、大乗菩薩戒を自誓受戒して初めて侍真として、12年籠山に入ることが認められます。


人のやさしさや考え方は目に見えないので、分かりづらいものですが、時がたってその人と同じ立場になって分かることもあります。毎日おつとめの中で、そっと師僧のことを思い、手を合わす今日です。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

今に命を尽くす

先日、当山へよくお参りにこられる方の奥様が42歳という若さでお亡くなりになられました。このご夫婦には高校一年生の男の子と中学二年生の女の子がおられます。通夜に参列し、お焼香をあげさせて頂きましたが、高校一年生の男の子は力なくイスに座り父親に寄り添って、声を殺してずっと泣いていました。声をかけても無反応でその悲しみはすごく深いものでありました。女の子の方は悲しみをこらえ、気丈に振舞っておりました。

 

通夜の最後に女の子がお母さんに対して「お別れの辞(ことば)」を小さな声で涙をこらえながら、『おかあさん、いつも私のそばに当たり前のようにいると思っていたおかあさん。いなくなって初めておかあさんの存在の大きさに気がつきました。
私たちのためにといつも栄養を気にしながら美味しいごはんを作ってくれてたのに好き嫌いを言ったり、私たちのために勉強をしなさいと言ってくれたのに「うるさいなあ」なんて言ったりしてごめんなさいね。私たちの事を思っていろんな事をしてくれたり言ってくれたりしていた事はよくわかっていたけれど、素直になれなくてごめんね。もう朝、学校へ行くときも「いってらっしゃい」という元気な明るい声も聞こえません。
家に帰ってくると「おかえりなさい」とやさしく迎えてくれたお母さんはいません。…私がとてもケーキが好きなので私の誕生日に一生懸命に作ってくれたケーキの味忘れないよ。…おかあさん、ありがとう。安らかに眠ってください。そして天国からいつも私たちを見守っていて下さいね。大好きなおかあさんへ。』と言った時には皆涙を誘われましたが、父親が「妻がこの世を去り、初めて人の命のはかなさを実感いたしました。また今日のこの通夜の日が長男の誕生日です。数日前から一家団欒でケーキを作って長男の誕生日を祝うことを家内はとても楽しみにしておりました。…。今日は皆様ありがとうございました。」と言われた時には参列者一同深い悲しみにつつまれました。

 

私たちは誰でも大事なものを失ったり、失いかけた時、そのものの本当の大切さを知るものであります。

 

身近な人の死を通して命の尊さを知り、過ぎ去って初めて時間の貴重さを知るのでありますが、仏教は常にこうした愚かさにおぼれることなく、現在只今をしっかり見つめよと説いております。今を如何に悔いなく生きるかをテーマとしていると言えます。この瞬間を如何に生き生きと生きるかを示しているとも言えます。いつ、どこで、どんな形で終わりを迎えるか測り知れない身であるからこそ「今に命を尽くせ」を説いているのが仏教であります。皆さん、今に命を尽くしていらっしゃいますか?

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

忠恕(ちゅうじょ)

一月八日の当寺の初薬師大般若経転読会法要の後のお話しの時に、西明寺は通称十二神将の干支の寺と言われているので、十二支のえとの始まりの子年にあたる本年から一順して最後の亥年の時に何か実りのあるものが自分で持てているようにと目標となる言葉を提案させて頂きました。このワンサイクル12年間で提案した目標となる言葉は忠(チュウ)恕(ジョ)という言葉です。忠とは「真心いつわりのない事」です。また恕とは「思いやりの事」です。

 

昔、中国の孔子の弟子の子貢が孔子に「たった一言だけで一生涯行なっていけるということがありますか?」とたずねた時、孔子は「まあ、それなら恕(おもいやり)だね、自分が望まないことを、他の人にも仕向けないことだよ」と答えたと言われています。

 

昨年の亥年は偽という漢字が一年間を代表する漢字に選ばれる程、偽りの多い年でした。そしてまた年々偽りがふえてきています。建物の耐震偽装、賞味期限の改ざん、産地の偽装をはじめとする食品の内容の偽装等々、数えたらキリがない程現在の世の中は偽りが満ちあふれております。真心をこめて作った物に偽りの表示をする事ができるでしょうか?

 

また思いやりの心をもって人に商品や物を提供するのに平気で偽って販売できるでしょうか?忠も恕も人間の心に関係する言葉なので心という漢字が入っています。私は昭和生まれなのでよく平成と年号を重ねてものを考えてみることがあります。今年は平成20年ですので昭和20年と年を重ねて考えてみますと、昭和20年は太平洋戦争も末期で沖縄戦があり八月に終戦を向えた年でありました。当時の人々は家族のためにまた国のためにと戦争で命を犠牲にしてまで人のためにつくされましたが戦争のない平和な世の中である現在はどうでしょうか?

 

戦後の教育の中で心を置き去りにした結果として今現在の世の中では昭和の時代では考えられない事がふえてきています。人間関係がギスギスして親が子供を殺したり、子供が親を殺したり、相手の気持を考えず、自分さえ良ければいいという人が増えてきています。もう一度日本人のもつ美しい心を見つめ直さなければならないと思います。西明寺は地方の小さな一寺院ですが天台宗宗祖伝教大師最澄様の言われた「一隅を照らす」という精神からもこの12年のワンサイクルの中で皆様とともに真心(忠)とおもいやりの心(恕)の実践をこころがけてまいりたいと思っております。

 

そして亥年のくる頃には実りあるものが自分自身の心の中にあるようにしていきたいものです。この文章をお読みになっていらっしゃる方も忠恕を実行してみてはいかがでしょうか?

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

一人で悩まないで

先日「一人で悩まないで」というタイトルで新聞に自分の思いを綴ったのだが、思いもよらず、その後いろんな人達から電話や手紙、また来寺されて相談を受け、改めて現代人の心の悩みの多さを感じ、また相談する相手の少なさに気づかされました。

 

新聞の内容を紹介すると・・・

紅葉の名所で湖東三山にも数えられる西明寺(甲良町池寺)住職中野英勝さん(四九)は、伝えたい言葉があるという。


「一人で思い悩み『死にたい』と考えている人。寺に来て一緒に話をしませんか」。現代版の゛駆け込み寺゛を目指しているという住職にその思いを聞いた。

「本来、お寺というものは生きている人のためにある場所なんです」。中野さんは言う。「寺の務めは葬儀と法事だけじゃない。宗教は本来、苦難を抱えて生きる人々を励まし、知恵や勇気を与えるためにあるのです」
昨年末、寺の近くで起きた悲劇が中野さんを奮い立たせた。養護学校に通う娘二人と父親が乗用車内で練炭自殺した心中事件。「死を選んでしまう前に、手を差し伸べてあげたかった」と、唇をかみしめる。


遺書には、生活苦や娘の将来を悲観する言葉。父親は妻を亡くし、深い悩みを親族や同僚、近所の人にも打ち明けることなく静かに命を絶った。

「物があふれる半面、人間関係が希薄になった。相談相手を見つけられないことが、頻発する自殺の根幹にあると思う」中野さんは声を大にする。

「苦しいことを素直に『苦しい』と話せる避難所が人には必要。周りに誰も言える人がいなければ、寺に来るという道もある─と伝えたい。何でも話を聞きますから」

寺で救われた命がある。


五年ほど前、五十代の夫妻が訪れた。息子の事業が失敗。借金の返済に困り果て「死のうと思って来た」と苦境を吐露した。中野さんはただ耳を傾けて、うなずいた。一通り話した夫妻は少しすっきりした表情を見せ、その日は帰ったという。半年後、夫妻が再び寺を訪ねた。借金の問題も落ち着き、さわやかな表情になっていた。

 

「孫も生まれた」とほほ笑み、言った。「あの時、死ななくて良かった」

夫を病気で失った六十代の妻。小学生の子どもの行動が理解できず悩む母。心の闇を打ち明け、寺から新しい人生を歩き始めた人たちもいた。その背後には、自殺者が年間三万人を超える日本の現状がある。
中野さんは続けた。「ちょっとした言葉で人は生き返れる。カサカサに乾燥しきった心に潤いが戻り、もう一度前を向いて歩めるようになる。そんな声掛けをし合える関係を大事にしてほしい。寺も、その役目を果たしたい」と。(岩田忠士)「滋賀中日2/12より抜粋」

というものでありました。


もし周りに誰も心の悩みをうちあける人がいないならば、一度お寺に連絡して訪ねてみてはいかがですか?

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

秘仏本尊ご開帳にあたって

この度平成18年9月18日より10月27日まで西明寺秘仏本尊薬師瑠璃光如来を御開帳することになりました。
西明寺の御本尊の由来は寺伝によりますと、平安時代の初期にあたる承和元年(834年)の或る日、三修上人(慈勝上人)が、琵琶湖の西岸を歩いておられると、突如として琵琶湖東方の彼方より、紫雲が現われ光がさしてきました。

 

この雲や光を御覧になった上人は「この光の源をたずねれば、きっとすばらしい霊地があり、修行中の私に何かを悟らしめて、重大な使命が下されるに違いない」との霊感に打たれました。そして、飛燕の術(当時特殊な修行を終えて会得した高僧たちが、心得ていたことに空を飛ぶことのできる術があり、修験道で名高い役行者も、そのうちの一人であったとされている)を修得していた三修上人は、直ちに琵琶湖を飛び越えて、湖東の地(現在の西明寺)へ来られたのであります。

 

「このような有難いまぶしい御光明を放たれるのには、何か事情があるのでしょうか。この清浄な霊地から湧き出づる泉を通しての御光明は、何を暗示しているのでしょうか。どうか御教示賜りたい。拙僧にできることであれば、この身を賭しても従いますので、事情を御教示願いたい」と池に向かって祈念なされました。

やがて、不思議なことに薬師如来の尊像が浮かび、しかも日光菩薩、月光菩薩十二神将を随えておられたのであります。


そして、三修上人は尊い薬師如来の御姿に感激し、その御姿を御祀りしたいと閼伽池に向かって一心に祈願され、池の傍の立木を以てその尊像を彫刻されたのであります。

薬師如来が瑠璃光を放たれた閼伽池があることから、爾来この西明寺の地域は池寺として現在まで呼称されております。


また、三修上人がお彫りになった薬師如来の尊像が西明寺の御本尊とされたことは至極当然のことであります。薬師如来が現世利益と民衆の苦悩をお救い下さる仏様であることは知られておりますが、それぞれの世代に代表的な仏様がおられます。

過去の代表は釈迦牟尼如来であり、現世の代表は薬師瑠璃光如来であり、未来の代表は阿弥陀如来であるとされています。故に三修上人は人々が誰でも幸せであるようにと、当地で現世仏の代表である薬師如来を祈願されたのであります。


やがて、このことが、京都洛中に知れ、三修上人に帰依しておられた第54代仁明天皇のお耳にも達することとなり、承和三年勅命によって、本尊を始め諸堂が建立されて、薬師如来の瑠璃光が、西方を照らし明るくしたとして「西明寺」の勅額を賜わったのであります。

 

爾来、西明寺は仁明天皇の勅願寺として寺領二千石、山林数百町歩が与えられ、国家鎮護、万民安穏を祈願する道場として、また祈願する僧侶の育成と修行の道場として栄え、諸堂十七、僧坊三百を有する大伽藍となったのであります。また、同期間において、湖東三山の2ヶ寺(金剛輪寺、百済寺)もそれぞれの秘仏本尊を開帳することとなり、史上初の湖東三山秘仏本尊同時開帳となりました。皆様の湖東三山へのご参拝を心よりお待ち申し上げております。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

物を大切にする心

私の知人に毛だまのたくさんついたつぎはぎだらけのベストをいつも好んで着ている人がいます。
かなりの時代ものでもう十数年は着ていると思われるものであります。お世辞にも似合っていると言えない格好なので最初のうちは、 なぜその一着のベストに執着しているのか私には理解できませんでした。


本人に聞くのもしのびないのである日、 妹さんにこっそり聞いてみたところ、「亡くなった母が作ったベストでたいそう母が気に入っていたようで、兄が着ないときには自分で着たりしていました」と 答えてくれました。母の心がこもったベストであったのです。私は胸にジーンとくるものがありました。


そのことをいまだ本人とは 話しておりませんが、母の想い出を着ることによって心が暖まるのであろうと思われます。どんなにすり切れても、いつまでも着ていてほしいと 私は思うのであります。

 

このことと、物を大切にしない現代の風潮とは無縁ではないと思うのであります。
確かに現代は物が豊かになり、一つの物を何年も使う必要はなくなりました。
修理などするよりも新しい物を購入した方が手っとり早い世の中になりました。
この人がベストを大切にすることとどんな関係があるのかと思われる人もいるかと思いますが、 心が通っているからこそ、いつまでも大切にしたい気持は、大事な事であると思います。物にも命があります。
その命を大切にする心が、現代人には失われていないでしょうか。

 

私の師僧(中野英賢和尚)が、生前座ぶとんの話しをして下さったことがありました。
自分が比叡山の12年間の籠山行に入る時、自分の師僧の叡南祖賢和尚に一枚の座ぶとんをいただいたのであります。
「おい、英賢。これをやる。しっかり行にはげめよ。」
それだけ言って和尚は自分が今座している座ぶとんをよこしたのであります。その時は自分は実に不快であり、 いやな思いであったそうです。新しい座ぶとんがいくらでもあるというのに、なにも使い古したものをくれなくても いいではないかと思ったそうです。しかし何といっても和尚は「行」の総帥であり、「持って行け」といわれるものを断る わけにもいかず、また「もっと新しいものを…」とねだることもできなかったそうです。そして籠山行に入ってから、 その座ぶとんに座りつづけたそうです。
二年も座れば、隅の方がすり切れてきて、大切に使ったつもりでも、物にもやはり寿命があるものです。
「だいぶ古くなりましたな」
「うん、古くなったねぇ」
「ぼちぼち取り替えましょうか」
「和尚の贈り物だからもう少し…」
周囲の人とそんな会話をしていた時、ハッと気がついたのだそうです。突然和尚の心が自分の心に密着したそうです。
「持って行け」と放り出した和尚の意が二年も経てわかったそうです。その時自分はまだまだ愚僧であったと感じたそうです。

 

伝教大師の遺戒に
「初め如来の室に入り。次に如来の衣を著し、終りに如来の座に座せよ」とあります。
仏道用心の教えであります。そこまで来て自分は和尚の励ましと暖かい心を知ったのであると言われました。
「如来の座」この座ぶとんこそ、その如来の座ではないか。仏様の座られる蓮台ともいえるものではないのか。
和尚はもういない。しかし、一枚の座ぶとんを敷けばその上に和尚がよみがえるのである。自分にとって終生とり替えることの できない座ぶとんであるとこういう内容のことでありました。
次元は異なるかもしれませんが、知人のベストも私の師僧の座ぶとんの話しも究極は一致したものであろうと思います。

 

一つも「物」に人の心が通い合う。その「物」を謀体に人と人との心の結びつきがある。物質文明社会がますます進行し、 自己中心的で人の心を理解することを失い、自然を愛する心、また物を大切にする心を失いつつある今日、もう一度人間性を培う ことを心静かに振り返る時間を日々の合掌を通して大切にしてゆきたいものであります。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

共に生きる

最近の新聞を読んでいると人の命を軽んじている記事が多くみられます。仏教は「一切衆生 悉有仏性(いっさいしゅうじょう しつうぶっしょう)」という言葉で、命の大切さを私達に教えています。

 

これは生きとし生けるものには皆、み仏の尊い命が宿っており、自分も他も共に同じ命を授かっているという前提に立って、すべてのものの命を傷つけ殺すことを戒め、更に歩みをすすめて生かすことの大事さを説いているのであります。

 

また自らを本当に生かす者は他をも生かし、他を生かす者は自らをも生かすことを説いているものであります。
ところが現実の私達は自らの命のために他の命を粗末にすることばかりを繰り返しております。


人が人の命を奪い、人が自然の命を奪い、人が地球の命すら奪おうとしているのが現実です。

山や川も、草や木も、虫や鳥も、獣や魚も、そして人間もすべて地球という命あるものの中で、今共に生きているという真理に思いを寄せながら、自らの命を本当に生かしてゆくために、私達はもっと仏教に親しみ、その根本の教えとも言える慈悲という愛を学び実践してゆかなければならないと切実に思うのであります。

 

日蓮上人も「いのちと申す物は、一切の財(たから)の中の第一の財(たから)なり」と言われております。この言葉をよくかみしめてみたいものであります。

 

また以前にもお話をしました四苦(生老病死)から、私達人間はのがれることができない毎日を送っているのでありますが、私達はさし迫った現実、切実な事情のない時は、それが当然という錯覚におちいり、無事であることの貴重さを考えることもなく過ごしてしまいがちでありますが、自分が病いに倒れたり、病いに苦しむ人を抱えたり、身近な人の死に出合ったりしますと、人は常に死と背中合わせであることに改めて気づき、健康であることに素直に感謝し、命の重さを初めて実感するものであります。死があるからこそ生があり、それ故にこの瞬間の命が自他共に大切であることを、仏教は繰り返し説いているのであります。

 

西明寺のご本尊は薬師如来様です。お薬師様は左手に薬つぼをもっておられ、その薬つぼから私達の心の病い、身体の病いに応じて薬をお授け下さる現世利益の仏様であり、昔からそれ故「応病与薬」の仏として親しまわれております。本堂でおつとめをして一日健康で無事過ごさせて頂いた事に感謝する毎日です。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

香と香炉(こうろ)

本堂の中に常香盤(じょうこうばん)という香炉がありまして、1日中お香をたいております。 本堂の中はいつもお香の香りが漂っており、お参りにくる人が、「ああ良いお香の香り」と言ってくれます。 お香の香りの中におりますと、不思議と心が落ち着き、心静かに仏様にお参りできるものであります。 ところで、お寺やお仏壇やお墓にお参りをする際、大抵の方はローソクを燈(とも)し、お線香をお供え致します。 ローソクは正式には燈明(とうみょう)と言い、闇を明るく照らすことから、仏様から授かる智恵を象徴すると言われ、仏様を供養する代表的なものが香華(こうげ)と言ってお香とお花と、そして燈明であると説かれています。

仏教発祥の地、インドでは体臭その他の匂いを消すために衣服や部屋にお香をたくという習慣がありますが、仏教に説かれるお香は香水を原料とする線香や抹香(まっこう)を仏様に供え、その美しく妙なる香りによって身心を浄め、香りによって心を鎮め、香りによって祈りを深め、香りによってやすらぎの境地に導かれることを示していると言えます。
また、お香にはお香の十徳と言って十の優れた功徳があると言われております。

「香 十 徳」
1.「感格鬼神」… お香の香りは仏様やご先祖様だけでなく、鬼神をも感動させる。
2.「清浄心身」… 心身をきよらかにする。
3.「能除汚穢」… よく汚れを除く。
4.「能覚睡眠」… よく眠りを覚ます。
5.「静中成友」… ひとりでいる時の小さな楽しみである。
6.「塵裡偸閑」… 忙しい時にひと息つくことができる。
7.「多而不厭」… 多くても飽きることがない。ただし最近の香料入りのお香は嫌になるものがある。
8.「寡而為足」… すくなくても足りる。
9.「久蔵不朽」… 久しく蓄えても朽(く)ちない。
10.「常用無障」… 常に用いても障りがない。

香十徳は一休禅師が作ったものと言われているようですが、実際にはお香が庶民にまで広まった江戸時代に作られたもののようであります。 またお香をたく器のことを香炉と言いますが、或るお経の中に、「願わくば我が身浄(みきよ)きこと香炉のごとし」という一節があります。 仏教そのものを象徴するとも言えるお香をお供えする香炉のように、わが心も身体も清らかに高めたいという祈り、或いは誓いを表わした言葉であります。また、私が小僧の頃、師僧から「香炉はみほとけの口と思え」と教わったことがありました。

みほとけに仕える者にとって香炉とは自らの口の如く大切に汚してはならないものであるという教えでありました。
お仏壇の香炉がマッチ消しの代わりになっていたり、埃まみれであったり、ゴミ入れになっていたりするのを時折目に致しますが、香炉は私達の信仰を象徴するものであるという認識のもとに常に清潔に整え、清らかなお香の香りの中で、日々の信仰を深めてまいりたいものであります。

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

心のゆとり

お釈迦様は「この世は苦しみの世界なり」として四苦八苦を説かれましたが、四苦八苦とは「生老病死」の四苦とあと四つの苦しみをたして八苦と言うのであります。中には四苦八苦とは4+8=12で12の苦しみがあるのですかと聞かれる方がいらっしゃいますが、四苦八苦とは4+4=8の八つの苦しみのことを言います。

 

あとの四苦とは、
1.愛別離苦(あいべつりく)… 愛する者と別れることからくる苦しみ
2.怨憎会苦(おんぞうえく)… 怨み、憎む者に会うことからくる苦しみ
3.求不得苦(ぐふとっく)… 求めるものが得られないことからくる苦しみ
4.五陰盛苦(ごおんじょうく)… われわれの肉体や精神がいつかは滅びていくことからくる苦しみ
の事を言います。

 

先日、人間関係で悩んでいる人から相談を受けたのですが、その人の悩みこそが「怨憎会苦」でありました。生きている限り、怨みや憎しみの出合いも避けがたい宿命であります。

どなたとでも仲良く、心を通わせ、明るく楽しく人生を生きていきたいとは、唯しも願うことでありますが、馬が合わないとでも言いましょうか、どうしても気持ちの通じ合わない人というのは少なくとも1人や2人あるもののようです。
格別の理由があるわけでもないのに、その人と向かい合うと、いつの間にか気まずい雰囲気になってしまっていたり、気まずい雰囲気程度ならまだしも、本格的な喧嘩や、いさかいに発展する場合も生じたり致します。こうした出合いはできる限り避けて通るに越したことはないのですが、なかなかそうばかりもいかないのが現実社会のむずかしさであります。


こうした人間関係が円滑であるか否かは、それぞれの人生を大きく左右する大事な要素の一つと言えますが、このことに関連して蓮如上人という方は次のようにおっしゃっておられます。

 

「わが前にて申しにくくば、かげなりとも、わがわろきことを申されよ。聞きて心中をなおすべき」一般的に陰口というのはあまり気持ちのいいものではありませんが、蓮如上人は『欠点の多い未熟な自分でありますから、遠慮なく注意して下さい。面と向かって言いにくければ、陰口でも結構です。それを反省の材料として我が身を正して参ります。』と言われたのであります。これほどまでに自分に厳しく謙虚になりきるのは、決して簡単なことではありませんが、人様との関わりを考えてゆく上でとても大事な示唆を含んだお言葉であると言えます。とかく「我(が)」が先立ってしまいがちな私達でありますが、一歩下がって我が身を見つめるゆとりを大切にし、比叡山を開かれ日本天台宗の祖といわれる伝教大師最澄様の「己(おのれ)を忘れて他を利する」精神で毎日を過ごさせて頂きたいものであります。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

仏涅槃図

琵琶湖文化館

先日、琵琶湖文化館という博物館で「釈迦の美術」という、テーマの展覧会があり、その展覧会に西明寺の「清凉寺式釈迦如来立像」と「仏涅槃図」が出陳されました。「仏涅槃図」は現在琵琶湖文化館に寄託してあり、寺で目にする機会がなくあまり気にかけていませんでしたが、出陳されて、あらためて、よく見ると、釈迦の入滅を悲しむ人々や鳥や動物が描かれ、特に大衆はそれぞれの思い思いの悲しみの表情を精一杯あらわしております。その「仏涅槃図」を見ながら私はお釈迦様の涅槃に示されたお心を考えて見ました。

命あるものはみな等しく死を迎え、形あるものはいつかは必ず消滅するという無常の真理を自らの臨終をもって示されたのではないでしょうか。また如何に財を成そうとも、如何に名声を得ようとも人は「生老病死」の四つの苦しみから逃れることはできず、すべては無に帰する身であることを前提として、それ故に命ある今を喜び、今一瞬、一瞬を精一杯生きることを諭されたのではないでしょうか。人は誰しも、お金や物が欲しいと願い、地位や名声を望み、年老いてゆくことも、病いにかかることも、死ぬことすらも本来人間に備わったものであることをいつの間にか忘れてしまい、欲望を満足させるために心のやすらぎを忘れて行動してしまいがちであります。そして、ひとたび、窮地に立たされ、ピンチにみまわれますと、すぐに神仏にたより、その御加護を求めるのでありますが、果たしてそれで永遠の命や永遠の幸せを授かった人が存在するでしょうか。

なんらかの偶然によって、一時的な救いを得ることはあっても永遠のやすらぎとはならないのが真実であります。

お釈迦様の涅槃はこうした欲望による営みが如何に空しいものであるかを説き、無常の娑婆世界であり、苦しみの現世であることを踏まえて、限りある自分の命を如何に導くかを投げかけているのではないでしょうか。

今一度皆様も自らの生を見つめ直してみてはいかがでしょうか。

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

仏教の心に学ぶ

台風も去り、本堂でおつとめが終わって早朝の境内を見わたすと、日差しが暖かく桧皮葺の本堂や三重塔の屋根にそそぎ、昨日のきつい雨を拭うかのように屋根から水蒸気があがっています。 またもみじの葉が雨水で照り輝き、小川のせせらぎが軽やかに響いています。自然のさまざまな営みを見つめながら、この瞬間にもテロや戦争で命を奪い合い、貴重な自然を破壊し合う人々のいることを思い、改めて心が曇ります。 たったひとつしかない命を、一度しかない人生を、二度と帰らないこの一瞬を、他人との争いによって費やすことの無意味さを思わずにはいられません。 人間にとっての最大のそして生涯のテーマは「生」と「死」を明らかに見極めることではないでしょうか?

 

確実に終わりの時が巡ってくるという事実を前提として、限りある命を如何に生きるべきかについて説いているのが仏教であります。

 

お釈迦様以来、数多くの祖師、先徳たちは、このテーマにそって深い迷いに苦しみ、飽くなき欲望にさいなまれる私たちの心を癒し、永遠のやすらぎへ導くために、さまざまな教えを示し、修行という行動実践を説いて下さっております。 仏教はその意味で、決して亡くなった人が相手の宗教ではなく、現在生きている私たちに向けられた教えであり、人づくり心づくりのための教えであります。

 

宗祖伝教大師最澄様はこうした仏教の願いを踏まえて、国家有為の人材を育成することを自らの悲願として比叡山を開かれ、日本仏教を代表する各宗、各派の開祖といわれる方々が、ここから巣立っていかれたのであります。 それゆえ比叡山は日本仏教の母山といわれるのであります。

 

また伝教大師は「山家学生式(さんげがくしょうしき)」という人づくりの制度の序文で「一隅を照らす」ということを言われております。 「一隅を照らす」とは我欲を離れ、捨身となって社会のために力を尽くすような「忘己利他(もうこりた)[自分の事よりも他人の利益を優先する事]」の心を実践し、その場になくてはならない人物を目指すことであります。 自らの人間性を磨きながら、地域や社会をリードするような存在となることを目標として励むべきであると、伝教大師は説かれているのであります。

 

また、そういう人物になるために仏教は「脚下照顧(きゃかしょうこ)」の実践を説いています。 すなわち、常に足もとを照らして自らを深く顧みているか、大地をしっかり踏まえて立っているか、大道を堂々と歩んでいるか、自分と人々に対して恥ずかしくなく生きているか等、反省を怠ってはならないということであります。

 

小さな我にとらわれ、煩悩という迷いに自分を見失い、忙しさにぬくもりを忘れがちな私たちに対して自らを静かに見つめ、振り返る謙虚なゆとりを大切にすべきであると教えているのであります。 科学の進歩と物質的な豊かさの中で人間は先人達が培ってきた貴重な心を失ってしまったといわれております。


今一度、生きとし生けるものすべての幸せを願いとした仏教の心に学びながら自分自身を育て、他をいとおしみ、思いやる慈悲心、すなわち、愛の豊かな人間性を目指してゆきたいものであります。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

人生は苦なり

月日というものは過ぎてしまえば意外に早いものだと、誰しも感ずるものでありますが、昨年、師僧が亡くなって一周忌も過ぎ、比叡山麓に墓を建立して一年が経ちます。

 

さまざまな行事や法要にあけくれながら、私は師僧にお仕えした年月を振り返り、また師僧に教えて頂いた色んな事を思い出し、師僧の死ということの意味を考えながら、またたく間に時間が流れ去って行ったように感じられる一年でありました。

 

身近な者の死に出合うという事実は、私どもの「生」にさまざまな反省と示唆を授けてくれるものでありますが、師僧の死という現実を通して私自身、実に多くのことを学んだような気が致します。その中のひとつに苦しみという真実があります。

 

「人生は苦なり」とお釈迦様が説かれましたように、私どもは命ある限り、楽しい事にも出合いますが、それ以上に苦しいこと、悲しいこと、辛いことに出合わなければならない宿命を背負ってこの世に生をうけております。

自らの小さな力ではどうすることもできないような、またどんなにもがき、抵抗しても逃れることのできないような苦しみの人生を生きてゆかなければならない定めであることを、改めて眼の前に突きつけられたようでありました。

 

お釈迦様はそんな人生であるからこそ、仏教を自らの拠り所とし、ともしびとせよと説かれたのであります。則ち、少欲にして足ることを知る心や、世俗に惑わされず、ひたすらに精進努力すること、更には、迷わず動じない心や真実を正しく見極める眼などを、信仰の実践や体験によって養い培うということであります。

 

これはお釈迦様の最後の説法と言われる、遺教経というお経に示された教えでありますが、当山の本堂におまつりしてある清涼寺式のお釈迦様の静かで安らかなお姿を拝しておりますと、このことが私への仏様からのメッセージのように思われ、ますます道心堅固に励んで参らねばならないと思うのであります。

 

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

我と我のぶつかり合い

世界各国の人々の努力と願いもむなしく、イラクでついに戦争が始まってしまいました。テレビや新聞などのメディアを通して刻々と報じられる戦況に目を注ぎ耳を傾けているのですが、そこでは人の命が確実に奪われていっているのだということを想像するにつけ、それに対して憤りを覚えるとともに、何も出来ずに傍観しているだけの己の無力さに悲しみが込み上げてきます。

 

たとえどんな理由があるにしろ、どんな大義名分をかざそうとも、戦争はおろかな行為であることに変わりはありません。突き詰めてゆけば、それは単なる【我】と【我】のぶつかり合いでしかないとつくづく思います。

 

ある意味、人間の闘争心は動物的な本能であるといわれますから、人類が存在する限り、この地球から争いごとは決して無くならないかもしれません。しかし、人間は、本能をコントロールできる知恵という優れた特徴もまた持ち合わせています。それを考えると、戦争とは、人間であることを自ら放棄した愚かな行為であるともいえます。

 

人類の歴史を少し振り返れば、戦争はいつの時代も抵抗するすべを持たない一般大衆、とりわけ老人や女性、子どもといった社会的・体力的に弱い立場にある人々に最も大きな被害を及ぼし、そして、命じられるままに動くしかない最前線の兵士たちを悲劇のどん底に陥れることは、容易に理解できるはずであります。しかし、それでもなお過ちを繰り返してしまう人間とは、何と悲しい生き物なのでしょうか。

 

ここで、ひとりひとりが原点に返って思い出さなければならないことがあります。それは、私たち人間というものは、自然という深く大きな懐の中で、互いに助け合い、支え合い、そして、励まし合いながら、限りある命を活かし生きているということです。

 

しかし、知らず知らずのうちにそれを忘れてしまって、我を張り、独りよがりの言葉に走り、時に戦争というあまりにも愚かな過ちを犯してしまう私たち人間。そうした弱い人間であるからこそ、自らを振り返るゆとりや、他を思いやる大らかさが大切となるのではないでしょうか。

 

仏教ではこのことを「慈悲」という言葉で説いてます。宗祖伝教大師最澄上人は「山家学生式」の中に、「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」というお言葉を残されています。これは、かつてローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が来日された際のスピーチでの中で引用され、昭和六十二年に開催された比叡山世界宗教サミットの実現へのあしがかりとなったお言葉でもあります。俗に、「情けは人のためならず」などと申しますが、日々の暮らしの中で感謝の気持ちを忘れず、合掌の心を通して、自分のことよりも他人のために惜しみなく力を尽くせるような人になること、まずはそれを目指しましょう。そして、戦争のない世界の実現に向け励んで参りたいものです。

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

聞き上手

師走を迎え、今年は自分自身でどういう年であったかを振り返りながら、新聞を読んでおりましたら、中国の孔子の「六十にして耳順う(したがう)」という言葉が目に止まりました。一般によく知られている「三十にして立つ」とか「四十にして惑わず」とか「五十にして天命を知る」とかの次に来る言葉でありますが、「六十にして耳順う」とは、孔子自身が老境に入って初めて、人の言葉に素直に耳を傾けられるようになったことを表したものであります。

 

好むと好まざるとにかかわらず、他人とのかかわり合いの中で生きていかなければならない私たちでありますが、偉大な思想家であった孔子ですら、人の話を謙虚に聞けるようになるまで、六十年もかかったという事実は、それがいかに難しいものであるかを象徴しているといえます。

 

さて現実の私たちは、いかがでありましょうか?一般的に大別すると、年を重ねるに従って次第に角がとれて、円満柔和な老人になってゆく人と、年ごとに頑固になり、ますます依怙地(いこじ)にひがみっぽくなってゆく老人とに分けられるようであります。どちらを望むかは言うまでもないことでありますが、なかなか望み通りにいかないのが現実で、人様の話に真心をもって耳を傾け、相手の主張なり心を正確に理解し、その人を大らかに包み込むというよりも、相手の話を自分流に味付けして曲解したり、あるいは自分の考えを相手に押しつけて嫌われたりの連続で、いよいよ自分で自分を貧しく孤独にしてしまう結果になりがちなものであります。

 

すべては「我」という迷いのなせる業でありますが、俗に話し上手は聞き上手などと言われますように、主張する前に聞くという姿勢を育ててまいりたいものであります。

 

以前、男女合わせて三十人ほどの老人クラブの人たちに、話をさせて頂く機会がありました。その時、特に印象深いことがありました。それは、子どもか孫ぐらいの年齢の私の話を、皆さん実に熱心に聞いて下さり、丹念にノートを取っておられたことでした。六十年以上もの長い人生の中で体験し学びながら蓄積してきた智恵(ちえ)は、私などは比較にならないほどに豊かなものであろうことは、容易に想像がつきますが、それにもかかわらず、なお謙虚に耳を傾け、ノートにメモしておられる姿は素晴らしいものでありました。

 

法句経というお経の中に「聞くこと少なき人は、かの犂(すき)をひく牡牛のごとく、ただ老ゆるなり。その肉は肥ゆれど、その智恵は増すことなからん」と書かれています。これは世の中のさまざまなことに、積極的に目や耳を傾けて、自らの心を高めることの大事さを説いたもので、いたずらに年を重ねることのないよう戒めた教えであります。

 

いろいろと毎日慌ただしく、せちがらい世の中ではありますが、常に相手の話をよく聞く「聞き上手」な自分になるよう、精進を重ねてまいりたいものであります。

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

日々非常

11月になり、湖東の山々も色づき始め、それに誘われるかのようにたくさんの人たちが、湖東の地を訪れます。特に西明寺は紅葉の名所とともに、秋冬春に開花する県指定天然記念物で樹齢二百五十年を数える「西明寺不断桜」が、十一月に満開に花を咲かせるので、桜と紅葉とのコントラストを楽しみたい人がたくさん訪れます。

 

それらの訪れた人から、いろいろな相談を受けることがあります。これらの相談を受けながら、人皆それぞれにいろんな悲しみや苦しみをかかえて生きていることを、あらためて実感させられます。そしてお釈迦(しゃか)様が「人生は苦である」と言われ、「生老病死」の四苦を説かれたことに、今さらながら真実の重みを感じるのであります。

 

すなわち、「生まれること」「老いること」「病むること」「死ぬこと」の四つの中に、人間のすべての苦しみや悲しみが集約されているということを前提として、それに負けない心を育てるために、さまざまな修行や教えをお釈迦様は示されたのであります。言葉を換えて言えば、もろもろの悲しみや苦しみに負けてしまいそうな弱い私たちを励まし、生きる勇気を授けるためにお釈迦様は仏教を開かれたと言えます。

 

思いがけない厳しい試練が、次々とわが身に降りかかってくる現実にあって、それから逃げることなく、動揺することなく、冷静に対応し、堂々と乗り越えてゆく力、エネルギーを与えるために仏教は説かれているのであります。具体的な苦しみや悲しみや災難に襲われてから、あわててしまいがちな私たちですが、「日々非常」「日々臨終」という覚悟のもとに、精進すべきことを仏教は教えの根本としています。

 

ところで、お釈迦様がある時、弟子たちに向かって「人生とはどのくらいの長さであろうか?」と問いかけました。一人の弟子が「五十年」と答えましたが「ちがう」という返事でした。弟子たちはそれぞれ三十年、十年、一日、一時間と言ってもお釈迦様は首を横に振るばかりで、最後のある弟子が「一呼吸」と答えたところ、ようやくうなずかれたという話があるお経に説かれています。

 

これは一瞬一瞬の呼吸、すなわち吸うことと吐くことの繰り返しによって私たちの命は支えられ、保たれていることを表現したものであります。そして、だれにも必ず人生の終わりの時が巡ってくるということを前提として、自らの生を見詰め、行動すべきことを説いたものであります。

 

言うまでもなく、吸うことの次に吐くことがなければ、また、吐くことの次に吸うことがなければ、私たちの命はストップしてしまうものであり、それゆえに一瞬の命であり、その命を大事にすべきことをお釈迦様は言っておられるのであります。

 

「日々非常」「日々臨終」という覚悟のもとに、毎日毎日を大事に過ごしてまいりたいものであります。

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

布施

当山ご本尊のお薬師様にご参拝なされた人の中に、浄財を寄進される人々がいますが、その浄財の中に御布施と書いてある袋がいくつかあります。

この「布施」という言葉は仏教の世界では、私たち人間が生きていく上で受けている多くの恩に報いる気持ちと、日々の生活の中で常に反省しなければならない多くの点におもいをこめて、周囲の人たちに何かプラスになることをすることを言います。布施の「布」とは、水が大地にしみわたるような限りなく広くしみ通ること、「施」とはいわゆる施すという福祉的な意味ではなく、社会にお返しをしていく行為をいうのです。布施には知識や金銭や物品を必要とするものもありますが、ものや金をまったく必要としない施しもあります。これを「無財の施」といいます。またこの「無財の施」を大きく七つに分けて「無財の七施」とよんでおります。それらを簡単に紹介いたしますと、

一、「眼施(げんせ)」 目は心の窓と言われますように、私達の喜怒哀楽はすべて目に表れてきますが、やさしさのあふれたまなざしを人々に施すことです。

ニ、「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」 微笑みを含んだ和やかな顔で人に接することです。

三、「言辞布(げんじせ)」 他人の心を察し、なごやかで温かい思いやりから発することばを周囲の人たちに投げかけること、つまり愛情に満ちたことばで語りかけることです。以上の三つの施しを総称して「和顔愛語」ともいいます。

四、「身施」 自分の身体の労苦を惜しまず、人のために尽くすことです。

五、「心施」 他人のために心を配り、思いやりのこもったまごころを施すことです。

六、「床座施(しょうざせ)」 直接的には他人に座席を譲る施しのことをいいますが、なんでも一人で独占せずに譲り合う心のことです。

七、「房舎施(ぼうしゃせ)」 いつも家の内外を明るく清潔に整え、客として訪ねてくる人々を分け隔てなく温かく迎え入れ、まごころを尽くしてもてなすことです。

これら七つの布施はいつでも、どこでも、だれでもできるものですが、気をつけなければならないことがあります。それは、高いところから低いところへという風に思い上がった「施」や「恵み」になりやすいことです。「布施」はあくまで恩に報いるために行うものなので、常に感謝と反省の気持ちを忘れずに行い、得意になったり、見てくれがしの行為や感謝を相手に求めるものであってはなりません。ですから常に「与える」のではなくて「与えさせて頂くんだ」という気持ちを忘れずに行わなくてはならないのです。

これらをことばとして理解することは容易ではありますが、いつでも、どこでも、だれに対しても分け隔てなく実行するとなると、我(が)という迷いが災いしてなかなかむずかしいものですが、たとえ一瞬であろうとも「ほっとした安らぎ」を施せる人間に、自分自身をたかめて参りたいものであります。

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

心掃くべし

九月に入り、朝夕過ごしやすくなり、西明寺も境内一面に秋の気配を感じられるようになりました。境内の掃除をしながら、私はまだ比叡山で修行を始めたころ、師僧からいわれた「心掃くべし」という言葉を思い出しました。

 

私の師僧は比叡山の浄土院という場所で十二年間の籠(ろう)山行をした律僧です。そして、浄土院という場所は、比叡山を開かれた伝教大師最澄上人の御廟所で、比叡山第一の聖域であるため、定められた修法の合間に落ち葉一枚もとどめず、草一本も生えないように徹底した掃除を行うことを日課にしているので、特に掃除が厳しく「掃除地獄」といわれております。掃除地獄とは厳しい修行を恐れた昔の僧侶(りょ)たちが、この名をつけたといわれております。

 

その掃除地獄の浄土院で修行を積んだその師僧に、掃除をしているときに「心掃くべし」とこのようにいわれたのですが、かけだしの小僧であった私は、まだこの時には師僧のこの言葉の意味がよく理解できませんでした。掃除は昔から寺院で、一掃除、ニ看勤(かんきん=おつとめをすること)、三学問といわれる程、大切な修行と位置づけられております。

 

また一般家庭でも掃除と言えば、どこの家庭でも毎日なさるあたりまえの仕事ですが、これが案外怠りがちになるものですが、この掃除について仏教では五つの功徳があると教えています。掃除をきれいにすると、一には、身も心も清浄になる。二には、自分だけでなく他人の心も清浄になる。三には、神さま仏さまが喜んで下さる。四には、人相がよくなる。五には、幸福がめぐってくると言います。早起きをして内外の掃除をすると、心がすがすがしくなり朝の食事もおいしく頂けます。また他家(よそ)さまを訪問した時も、きれいに掃除がしてあると「きれいだなあ」と感じるとともに、身がひきしまる思いがします。

 

部屋や庭の掃除に限らず、入浴して身体の垢(あか)を洗い流すのも衣類を洗濯してよごれを落とすのも、みな清潔のためのクリーニングでありますが、同時に心のよごれ、煩悩(ぼんのう)を洗い清めることが重要であります。この「心掃くべし」という言葉は、ただ単に室内や屋外をきれいに整えるための行為というだけでなく、まさに自らの心を清めるために実践であるといえます。また現実の雑事に惑わされて、知らず知らずのうちに心に積もってゆく塵(ちり)や垢や汚れを清めるために、日々精進を怠ってはならないと戒め、反省を促しているともいえます。

 

毎日のニュースで見たり聞いたりする社会の出来事の多くが、仏教でいう三毒という煩悩の貪欲(とんよく=むさぼり)、瞋恚(しんに=いかり)、愚痴(ぐち=おろかさ)からくるものであり、すべて人間のエゴに帰するように考えられます。なかなか掃除ぐらいではきれいに取れませんが、この「心掃くべし」という言葉を念頭において掃除をしたならば、自分の心を洗い清めるだけではなく、他人の心、また社会の環境までも浄化されるのではないでしょうか。

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

ものの命

私がお守りさせて頂いておりますこの龍應山西明寺は湖東三山の一つに数えられているお寺ですが、湖東三山とは琵琶湖の東側、鈴鹿山系の麓に北から順に並ぶ西明寺、金剛輪寺、百済寺のことを指し、ともに一千有余年の歴史を有し、栄枯盛衰をほぼ同じくした天台宗の古刹(こさつ)です。

 

しかも三山とも歴史だけでなく、すぐれた文化財をたくさん保有しております。この西明寺は平安時代の承和元(八三四)年に三修上人が、仁明天皇の勅願により開創され、平安、鎌倉、室町の各時代を通じて、祈願道場、修行道場として栄え、山内には十七の諸堂、三百の僧坊があったといわれております。

 

しかし元亀ニ(一五七一)年に織田信長は比叡山を焼き討ちしてその直後に当寺も焼き討ちをしましたが、幸いにして本堂(国宝第1号指定)、三重塔(国宝)、二天門(重文)が火難を免れ現存しております。特に三重塔は鎌倉時代後期に飛騨の匠(たくみ)が建立した純和様建築で、初層内部の壁画は巨勢(こせ)一派(平安時代より室町時代まで続いた宮廷画師の流派)の画師が純度の高い岩絵の具で描いたもので、塔内一面に法華経の変相図、菩薩像、仏具、花鳥文が極彩色に描かれていて、鎌倉時代の壁画としては、国内唯一のものであるといわれております。

 

この三重塔は参拝者のたくさんの要望があり、塔内壁画を年中公開しておりましたが、平成十四年の春に壁画が建造物(国宝)と切り離して、美術工芸部門で重要文化財に指定されたこともあり、文化財保護のため、春(三月~五月)、秋(九月~十一月)のニ期に分けて公開するようになりました。塔は四方に扉があり、いつも一ヵ所だけの扉を使って開閉をしておりましたら、先日扉の上の金具がとれてしまし、別の扉を使うようになったのですが、原因は金具が磨耗してしまったからだということでした。

 

ところで今回の修理を通して、私は改めて人間を始めとする「ものの命」ということについて少し考えました。この世にものが生まれるということは、それなりの理由があり必要があってのことであろうと思われます、また、この世にものが存在するということは、それぞれに役割を持ち使命を担っているとも申せます。そして、それぞれのものには寿命という限界があることも事実であります。このことを人間にあてはめて考えてみますと、両親の願いによって私達はこの世に誕生し、死という終わりの時までの自らの使命を全うするために、人生を重ねてゆく存在であります。

 

ご承知のとおり生命とは、命を生かすと書きます。使命とは命を使うと書きます。人生とは人として生きると書きます。即ち私達は人間らしく、自分らしく、与えられた命を精一杯に生かし、使い切るために生まれてきたといえるのでありますが、果して今、私達はたった一つしかない貴重な命を生かし切り、使い切っているでしょうか。仏様にお参りすることを通して、こうした問いかけを自らに向けながら、生まれてきて良かったといえるような人生に高めてゆくことを、自分自身に改めて誓い直して頂けたならば幸いかと存じあげます。

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝)

道心

日本仏教の祖をいわれる伝教大師(最澄)は「山家学生式」という人づくりの制度の序文の中に「国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に古人曰く、経寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす。即ち此れ国宝なり」と言っておられます。簡単に直訳しますと、国の宝とはいったいなんであろうか。

 

宝とは道心である。道心というのは心の道と書きますが、向上心という意味の言葉であり、この道心(向上心)を持って努力する人をさして国の宝というのであります。故に昔の人は経寸(経寸とは金や物のことをさします)などいくらあっても世の中の役に立たないと言っています。一隅を照らす。この一隅とは、重箱のスミや端っこをさすのではなくて自分の持ち場のことです。すなわち現在自分が関与している持ち場を守り、ベストを尽くすことを一隅を照らすと言います。こういうポストにベストを尽くす人材こそ世の中になくてはならない国の宝なのだと言っておられるのであります。もっとくだいて言いますと「一隅を照らす」ということはどんな嫌な仕事でも、この道心(向上心)をもってベストを尽くして行くと、だんだんと嫌な仕事も自然と好きになってくるものです。

 

そしてその仕事が好きになってくると、その仕事にいろんな工夫を加えて、おもしろく仕事をするようになってくるので、ますますその仕事が好きになってゆき、いつのまにかその職場になくてはならない存在になってゆくということです。こういう人達がたくさん世の中に出てくると、いろんな場所が照らされて、世の中が明るくそして住みやすい場所になってくるということなのです。

 

また伝教大師は「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」とも言っておられます。これはこの道心(向上心)をもって精一杯努力をしてゆけば、生きてゆく上で必要な衣食住は自ずと身に備わるけれども、衣食住(物欲)にばかりとらわれて、それのみを追い求め、我に支配された自己中心的な生き方からは、人間としての成長すなわち向上心は決して伴って来ないと言っておられるのであります。

 

このことは、現代人の我々にも耳の痛い言葉ではないでしょうか。戦後日本の国には他に例をみない程、経済成長をとげ経済大国となりましたが、心を置きざりにして物欲ばかりを追い求めた結果、バブル崩壊後の大企業の相次ぐ破たん、金融不安、倒産や失業、また家庭内暴力、校内暴力をはじめいじめの増加、低年齢層の非行の増加、人の命を軽視しゲーム感覚で殺人を容易に行う若者等、あらゆる問題が山積みをなってしまいました。

 

二十一世紀は心の時代といわれる今日、この伝教大師の言われている道心という言葉を胸にきざみ、一隅を照らす精神で毎日を送ってみたならば、きっと明るい住み良い世界が開かれて行くものだと信じております。

 

合掌

(湖東三山・西明寺住職 中野 英勝